日本一古いLED信号機は、徳島県警察本部の前にあった
2019/04/29 撮影、07/21 公開
2019年現在、日本で最も新しい信号機は「低コスト灯器」と呼ばれる信号機など複数ある。これらは、盛んに生産され、また全国で数を増やしている最中のものだ。
また、日本で最も古い現役の信号機は、愛知県の『卯坂』交差点に設置されている、ゼブラ板付き角型灯器であるといわれている。
それでは、日本で一番古いLED信号機は何処にあるだろうか
実は、日本で一番古いLED信号機は徳島県警察本部の前に設置されているというのだ。
しかも、ちゃんと全国初のLED信号機である旨も書いてあるという。
今から、その信号機を紹介しよう。
2019年4月29日、下道で3日掛けて鹿児島へ向かう途中の私は、問題の交差点へと降り立った。
日本一古いLED信号機は、この交差点に2基現存している。一つは、上図の黄丸の中。そして、二つ目は一つ目と向かい合う様に設置されていた(下図参照)。
正直、初見では25年も前に稼働を始めた信号機だと判別付きづらい。灯器本体の形や佇まいは、至って普通である。
しかし、以上2つの灯器には、現在普通に設置されているLED信号機とは違う、決定的な特徴があった。
それは、青信号の色とLEDの粒の数である。
下の写真は、ごく一般的なLED信号機の青灯火を拡大したものだ。
次に、今回紹介した日本初のLED信号機の拡大画像をお見せする。
どうやら、普通のLED信号と比べて、青白っぽいLEDが用いられているようだ。
写真で見るのも良いが、生で見た方がより分かりやすいと思う。
次に注目するべきは、LEDの粒の数。
灯火の中心を、何と15列ものLEDが取り囲んでいるではないか!
しかも、中央と外周の一部が空白になっている事が分かる。ネジの取り付けスペース確保の為に、敢えて空けられていると推測
なお、現代のLED信号機は、粒の数を減らした上で、それぞれのLEDに光を拡散するレンズの様なものが取り付けられている。
やはり、腐っても"日本初"。現代の信号機と同じLED信号機でも、最初期ならではの古っぽさが十分に感じられる灯器だ。
もし、徳島に出かける機会があれば、是非徳島県警察本部の前にあるこの信号機を撮りに訪ねてみてはどうだろうか。
場所はコチラ。
【完】
神奈川県道140号 鶴見川右岸の"自転車道"にしか見えない2車線道路(本編)
※(導入編)の続きですので、導入編を読まれていない方は先にそちらをご一読ください。
2車線道路とは思えぬ狭さ
中央線(センターライン)が消えた状態で東急東横線のガードを潜った140号は、そのままの状態で鶴見川の堤防上へ。
そして、堤防上で中央線が復活するのだが…、
正直に言わせて頂こう。
この道は、私たち通行者に全く余裕という概念を感じさせない。
手前の1.5車線道路に毛が生えた程度の幅で、立派な道路の証(?)である中央線を与えられたのだ。
手間の掛かる堤防拡張を行わなければ、右にも左にも拡幅できない堤防上という立地にあって、道は為す術なく冴えない2車線道路の立場に甘んじていた。
逆に、この程度の幅で無理やり2車線化しているため、自らに課せられた多大な交通量を何とか捌き切ろうという意思さえ感じられる。道路の格は違うが、車線幅が狭いのに無理やり片側3車線を確保している東京の環状8号(環八)と同じような必死さが伝わってくると思う。
実際、この道幅からは信じられない程多くの乗用車、トラック(但し中型まで)が当区間をひっきりなしに行き交っていた。
それが、この道にとっての日常なのだ。
そして、遂に最"狭"区間へ…
次の写真は、堤防上の2車線区間が始まってから、およそ650m進んだ地点で前方を向いた写真である。
堤防上の区間が始まり、写真の地点に至るまで、県道は狭いながらも一定の幅を保っていた。
この先はと言うと、写真奥に見えるカーブでセンターラインが途切れ、ガード下と同じ1.5車線道路に戻る。反対に、カーブの手前は2車線だ。
だが、この写真から何か違和感を感じないだろうか。
写真を見て気づいたアナタは鋭い。
写真を拡大してみよう。
車道外側線が、黄線の部分で明らかにカクッと右に寄っているのが見えるだろうか。
ここに来て、県道はただでさえ狭い車線幅を更に絞るという暴挙に打って出たのだ。
その結果。
いや、写真奥に見える車が仮に居なかったとしよう。果たして、誰がここを車の通る道だと思うだろうか。いや誰も思わない。ここに、『県道140号=サイクリングロード説』が立証である。だから違うって
…気を取り直して、この道幅を通行車と比べてみたい。
最早自転車道にしか見えない最"狭"区間の幅とは
当区間の代表的な通行車として、軽トラにご登場頂いた。
タイヤ付近だけを見ると、タイヤが中央線をはみ出している幅より路肩側の余白の方がギリギリ広い。よって、一応軽トラのホイールベースよりは広い事になる。
しかし、これはあくまでホイールベースでの話である。車体はもう少し幅広で、かつサイドミラーの幅を含めると、軽トラですら車線幅を余裕で超えてしまっている事は明白であろう。
そもそも、軽トラが中央線をはみ出さないと路肩側に十分な余白が確保できない時点で相当アレなのだが、ここでは触れないでおこう。
次に、ロードペイント(路面標示)と比べてみる。
実は、路面標示の幅や長さ、ラインの太さなどの規格は全国的に統一されているのだ。一部の県では例外もあるが
上の画像の中央に写っている「30」のロードペイントは、幅が1.2m、ライン(オレンジ線)の太さは15cmで描かれている。ここからおおよその車線幅を推定すると、
車線幅= 120cm+(左右の余白約25cm)×2 =170cm
実に、一般的な高速道路の車線幅(3.5m)の約半分の幅しか無いのだから驚きだ。また、
路肩を除く全幅= 170cm×2 + 20cm(路肩線)×2 +15cm(中央線) =395cm
これに路肩を含めても、全幅は最も狭い地点で4.3mに満たないだろう。
この程度の幅で2車線なのだから、改めて驚く。
因みに、自転車道の幅は、中央線の無い路線ですら3.0m幅はある。※大規模自転車道
多摩川CRや江戸川CR、更に鶴見川左岸のCRこちらはサイクリングロードには、余裕で4.5m幅を超える区間さえ存在する。
この記事を以て、当区間を神奈川県で屈指の激狭2車線道路として(勝手に)認定しよう。
【オマケ】
2車線最狭区間の先、センターラインが無くなった堤防下の県道を見てみると…
この幅でセンターラインが無いことに対する違和感は無い。但し、こちらも4m幅は超えていそうな雰囲気だ。
いかに、先の区間において中央線が無理やり引かれていたのかが窺える。
実は、全国にはこの道より狭い2車線道路も存在するのだが…
【完】
神奈川県道140号 鶴見川右岸の"自転車道"にしか見えない2車線道路(導入)
2018/12/29 実写、2019/07/19 公開
神奈川県道・東京都道140号は、神奈川県川崎市を起点とし東京都町田市を終点とする全長25.2kmの県道である。
一部4車線道路や1.5車線道路、また普通の2車線道路の区間も存在するが、全長の大半は市街地郊外を走る窮屈な2車線道路であり、また交通量が多い。右折レーンが整備されておらず、渋滞する交差点もしばしば
さて、今回紹介する区間は、路線の東側に当たる港北区内の鶴見川堤防上の区間である。
この区間は幼少期から車に乗せられて何度も通ってきたが、その余りの狭さに驚嘆した記憶がある。
狭いといっても、ただ狭いのではない。
この区間は、2車線なのだ。2車線=対面2車線=片側1車線
2車線で"狭い"といったら、果たしてどんな風景が待ち受けているのか。
2車線道路の限界を見るような狭さに、皆様もきっと唖然とするであろう…
それでは、ご覧あれ!
幹線道路然の140号が、突如怪しくなる地点
※写真が見つからないため、途中までGoogleストリートビューで代用しています
ここは、県道2号と県道140号が交差する大綱橋交差点。
この2つの県道は単純に交差しているわけではなく、県道140号を起点(川崎)側から西に進むと、樽町交差点で一旦北へ向き、約100m先の大綱橋交差点ですぐに西向きに戻る。つまり、140号側がクランク状に曲がっているのだ。
しかし、県道2号に突き当たるまで4車線であった県道140号は、このクランクを境に、大幅に規格ダウンを迫られる事になる。
制限速度も、50km/h(→40km/h)→30km/hにダウン。
これでも、周辺の交通網に無くてはならない道路なので、交差点直後は改良済みだ。
しかし、間もなくガード下でセンターラインが消える事になる。歩道用のガードは別途設けられているので歩行者の心配は無用
直前の4車線道路と比べると、本当に頼りない姿となってしまった。
その頼りない姿のまま、鶴見川の堤防へと上る。
写真の坂の先で、センターラインが復活し2車線道路となるのだが…、
道、本当に広くなってる?
そう、センターラインが復活した後の2車線道路が、狭かった。
…。
【続く】
<次の記事>
3灯の角型灯器は、今、神奈川ではたった2箇所のみ残るレア信号機になっていた(後編)
※(前編)の続きですので、前編を読まれていない方は先にそちらをご一読ください。
神奈川最後の角型灯器となる公算が高い光が丘歩道橋の信号機
歩道橋の架け替え工事により角型灯器の存続が危ぶまれる末吉橋交差点とは異なり、今後も暫くの間は元気な姿を見せてくれるであろう光が丘歩道橋(神奈川県大和市)の角型灯器。
こちらも京三製作所製。末吉橋の歩道橋に設置されている角型灯器と同じ物だ。
【追記】
光が丘の角型灯器は2020年1月、末吉橋の角型灯器は2021年12月9日に撤去され、神奈川県の公道から角型の3位灯が絶滅した。詳細は前編をご覧頂きたい。
さっきから光が丘歩道橋と連呼しているのは、この交差点に交差点名が表示された地名板が一切存在しないため、交差点の本来の名称が不明だからである。
まさか、無名交差点?
国道467号(藤沢街道)と県道40号(厚木街道)が交わる交差点には、歩道橋が何とも不思議な形で架かっている。
この特殊な形状の歩道橋が原因で、信号機が交換しづらい事が、この交差点を『神奈川県で選ばれし2つの交差点』の一つへ昇華させた原因の一つであろうと推測できる。
2019年7月18日時点で、この交差点の角型灯器が更新される類の話は聞いていない。
即ち、この交差点が、神奈川で最後の角型灯器がある交差点として残り続ける可能性が高いのである。
余談だが、信号機の裏側が歩道橋本体に隠れるため、灯器の裏側に取り付けられている銘盤 当該灯器の製造メーカーや型番、製造年など灯器に関する情報が目一杯に詰め込まれた板のこと を撮影するのは困難だった。
銘盤には、昭和54年2月製とある。公道上の3灯角型灯器が製造された年月としては、比較的新しめの年代だ。当時の神奈川県は、全県的に角型灯器を採用する傾向にあったようだ
1月の一斉更新で消滅してしまった内海橋の角型灯器
記事執筆時点で神奈川県に残る3灯の角型灯器は残り2箇所となってしまったが、実は2019年初頭においては3箇所存在していたのである。
神奈川で3番目に生き長らえた角型灯器は、横浜市西区『内海橋』交差点に設置されていたもので、(これまた)京三製作所製。
当交差点では、2019年1月23日に信号機の更新工事が行われた。
角型灯器は、午前11時台に更新された(らしい)。
路面に置かれた本物の信号機を間近で見られるのはそうそう無い機会で、とても貴重な体験だったと思う。
一方で、役目を終えた角型灯器は、トラックの荷台に積み込まれていた。
この後、私は更新工事が終わるまで、内海橋交差点を見守り続けた。始終、交差点から離れずに居た訳ではないが
内海橋交差点における信号機の更新工事は、午後5時過ぎまで続いた。
私は、更新済みの内海橋交差点の姿が信じられず、今後数週間、この交差点を訪れて写真を撮影する事は無かった。更新直前は週5のペースで通っていたにも拘わらずだ
右の写真の撮影は、更新工事から1か月以上後の2019/3/2に行われた。横浜の中心部に見合った、現代らしい姿だ。
当然だが、古灯器は現在は製造されていない故、数は減る一方である。神奈川県内の角型灯器も、残り5つ、4つ、3つ…、そして今は残り2つの所まで来ている。
その数が素数ではなくなり、やがて符号が無くなるのも、時間の問題であろう。
【完結】
将来的には新東名のアクセス路にもなる神奈川県道603号バイパスを、開通翌日に実走した様子(概要編)
2019/07/17 実写、07/17 公開
2019/07/16 15:00
神奈川県道603号バイパス 「日向薬師入口」交差点~「石倉橋」交差点間約1.2kmが4車線道路として開通した。
今回開通した区間は上図の赤線部のみ。ピンク色の区間は、未だに完成には程遠い状態だ。
2020年開通予定である新東名 伊勢原大山ICのアクセス路としての性格が強い当区間。当然、新東名との同時開通が望まれていた。
しかし、当区間の建設が進む一方で肝心の新東名の建設は遅延してしまう。結果、先にアクセス路だけが開通する流れとなったのだ。
厚木秦野道路の事も忘れないであげて…
開通当時は天候の関係等で現地に行けなかったので、開通翌日の様子を自転車で取材した。
それでは、開通区間西端の石倉橋交差点にワープ!
当区間の開通に合わせ、右折レーンの確保の為に車道が少し拡幅されている。奥の信号交差点から先が、今回の開通区間である。
開通の翌日とあって認知度が低かったのか、はたまた新東名の開通前だからか、交通量は少なめだった。1~2分に1台といった感じだろうか。かなり快適に走行出来そうだ。
途中は盛土区間となっており、かなり深い谷を埋め立てて道路が造られていることが分かる。
盛土区間を過ぎると、開通区間の途中では唯一の信号交差点に差し掛かる。相手は1.5車線の市道だ。
この無名の信号交差点を過ぎると、以降は開通区間東端までほぼ全線下り坂に。
そして、伊勢原大山ICの入口を示す緑看がキター!!
開通前とあり、シートで隠されてはいるが、その下からは「E1A 新東名」の文字が透けて見える。
現在は単なる直線道路だが、新東名の開通後はT字路となる予定。厚木秦野道路が完成すれば十字路になる計画で、一応、準備施設も用意されている。何年後、何十年後になるのかは分からないが
そんな将来2度の拡張が予定される期待の交差点(?)を過ぎ、橋高が高すぎて雨除けには向いていなさそうな新東名の橋を潜ると…、
綺麗なカーブを描きつつ、開通区間東端の日向薬師入口交差点へ。
今回の開通区間は、ここで終了。本当は、700m先の『分れ道』交差点まで同時に開通する予定だった
余談だが、青看の左方向には県道603号のヘキサが描かれていない。ルート案内の便宜上そうしたのか、本当に県道指定を解除されているのかは気になるところだ。
詳細編では、当記事で紹介出来なかった風景をメインに、豊富な写真を交えて複数回のレポートを展開する予定である。乞うご期待!
【次の記事】
将来的に新東名のアクセス路として活躍する神奈川県道603号バイパスを、開通翌日に実走した様子(詳細編1-石倉橋交差点) - 神奈川発『みち』のブログ
3灯の角型灯器は、今、神奈川ではたった2箇所のみ残るレア信号機になっていた(前編)
今回は、神奈川県に残る古い信号機、とりわけ角型灯器に関して話をしたい。
神奈川にも、古い信号機はまだまだ公道上に残っているのだ。
そう言われると、「当たり前だ」という人と、「意外だ」と思われる方が混在すると思う。
しかし、以下の写真を見て欲しい。
ここ1年の間で、これらの信号機を見た事のある人はどれほど居るだろうか?
恐らくは見る機会が無いか、或いは他の(ありふれた)灯器と比べて必然的に見掛ける頻度が少なくなる筈だ。
写真のような、角ばった形の古灯器を、そのまま「角型灯器」 と呼ぶ。
これらの信号機は昭和40年代後半~50年代前半に製造されたもので、神奈川に残る信号機の中では最古参に分類される。
10年であれば各地で、3年前でもそこそこ数が残っていた角型灯器だが、近年では急激にその数を減らしており、
2019年7月16日現在で、神奈川県には、3灯の角型灯器は僅かに2箇所(5基)を数えるのみとなっている。2灯式を含めればもう少し多いが、そちらも淘汰の流れが強くなっている
【追記(2021/12/1)】
光が丘の角型灯器は2020年1月、末吉橋の角型灯器は2021年12月に撤去され、神奈川の公道から3灯の角型灯器が絶滅する予定である。
12月9日頃の絶滅になる可能性が高いが、信憑性不明な情報なのでご参考までに。
【更なる追記】
末吉橋の両面角型灯器は2021年12月9日の午前11時30分頃に完全撤去されている。
また、歩道橋に付いていた京三製片面角型灯器は、少し早い同日早朝の撤去だった模様。
撤去後の角型灯器を間近で見学させて頂いたのは貴重な機会であった。
以下、撤去前に執筆した原文ママでお送りする。
それでは、角型灯器が現存する選ばれし2つの交差点を紹介しよう。
支柱と円弧アームが用いられた設置としては神奈川最後の角型、全国唯一の両面角型灯器が残る末吉橋交差点
2018/12/29撮影、2019/07/16公開
場所はコチラ 。鶴見川を渡る末吉橋の、川崎市側の袂にある交差点である。
この交差点の目玉は、何と言っても令和の時代に現役で稼働している全国唯一の両面角型灯器(京三製作所製)だ。
この灯器の何が凄いかというと、両面セットで1基の灯器として製造されている事。
通常の交差点では、アームの両面に設置されている信号機は、それぞれ区別して2基と数えられる。しかし、ここでは、写真の組み合わせで1基の信号機と数えられるのだ。
両面セットの信号機は、その管理の大変さから次第に敬遠されていき、1基も製造されていない現在では、その数が減る一方になっていた。
そして、今年中に予定通り歩道橋の架け替え工事が実施されれば、その数はとうとうゼロになってしまうのだ。
現役で稼働している今の内に、実際に現地に赴いてその姿を愛でてみればどうだろうか。
また、歩道橋には片面式の角型灯器(こちらも京三製作所製)が設置されている。
こちらは、後述の光が丘交差点や他県にも同型のものが設置されており、絶滅は少しだけ先になりそうだ。
因みに、Twitter上では、10日前の7月6日に現存報告が上がっていた。
但し、歩道橋の架け替えが今年中にも実施される予定であるため、ご老体の歩道橋共々、角型灯器も近いうちにこの交差点から消滅してしまうものと推測される。
もしこの記事を見て、末吉橋交差点で角型灯器を撮影したいという奇特な方がいらっしゃれば、可能な限り早めに撮影するべし。
後編では、神奈川県大和市にある光が丘交差点の角型灯器を紹介しようと思う。
【続く】
<次の記事>
3灯の角型灯器は、今、神奈川ではたった2箇所のみ残るレア信号機になっていた(後編) - 神奈川発『みち』のブログ
東大和市にある、日本一急な「37%」の急勾配標識のある坂へ行ってみた
2017/05/28 実写、2019/07/15 公開
皆さんは、東京都に、日本一急な『急勾配標識』が設置された坂が存在するのをご存じだろうか。
所在は、東京都と埼玉県の県境や多摩湖に程近い、東京都東大和市内の住宅地である。
その標識に書かれた勾配は、何と37%に達している。
坂の多い神戸市の某所にある2位の34%を抑えて、堂々と1位の座に君臨するのだから驚きだ。因みに、かの有名なR308暗峠の最大勾配も37%であるが標識は無い
37%の勾配とは、如何なるものなのか。
日本一の急勾配標識が、頑張れば自宅から自転車で行ける距離にある。
その坂が気になって仕方なくなった私は、自転車で現地へ向かった。但し、本稿では車による2回目の訪問時の写真を用いている
それでは、早速ご覧頂こう↓
お分かりいただけただろうか。
37%の坂とは、実は階段坂なのだ。従って、車の通り抜けは出来ない。神戸の34%坂も、下った先で行き止まりだ
そして、問題の『日本一の急勾配標識』は、坂の上に設置されている。
辺りは平和に見えても、標識に書かれた内容は全く平和ではない。
今度は、車で坂に進入してみた。
坂を下り、階段に近付くにつれて、勾配が徐々に増していく。
車止めで塞がれているのは、坂の終盤のほんの一部だ。しかし、当然ながらこの区間が最も急である。
37%では済まないだろうと思い、簡易的に勾配を測ってみたところ、階段区間では40%を優に超えていた気がする。そうすると、37%の根拠はどの区間なのだろうかが謎として残る
その勾配の凄さを端的に示すのが、坂の下に設置されているラバーポールだ。
その様子がこちら↓
もう、傾き方が尋常じゃない。
完全に下を向いてしまっている。
これは、日本で一番傾いているラバーポールに認定しても良さそうだ(笑) 何じゃそれ
次は、坂の上に戻って少しズーム気味に撮影した写真である。
看板には「急こう配 走行注意」とある。確かに、自転車ではフルブレーキでないと恐怖を感じる勾配だった。
…ところで、奥にカーブミラーが見えるぞ?
もう一度、坂の写真を見てみよう。
階段となっているのは坂の中央部のみで、車止めも後付けの感がある。
もしや、(個人的な見解だが、)実は、その昔にはこの坂を自動車が走っていた時代があったのではないか? 真相は定かではないが、そんな気がして仕方がない。
仮にこの坂を自動車が走っていた時代があったとして、その当時の事をご存じの方がいれば、是非ともご一報頂きたい。
【追記】
2021年4月10日に再訪して坂の勾配を計測したところ、
平均45%、最大51%の勾配がある事が判明!!
なお、自動車が入る事の出来る車止めの直前の勾配は約29%で、自動車がこの坂で標識通りの急坂を体感する事は出来ない。
28%の標識のある隣の坂が実測値37%なので、自動車で37%の勾配を体感したい猛者は隣の坂へ行くと良いだろう。
※坂下の交差点は普通に曲がろうとすると車の底を擦るので要注意
何はともあれ、37%標識より遥かに急な勾配値が出てしまったことは確かだ。
本当は37%などでは無かった、最凶の勾配を持つ東大和市の「元」車道。
— たこ@道路好団垢 (@road0724day) 2021年4月10日
細かい起伏の中で出た最大勾配はなんと27度、勾配に直すと驚異の51%(!!)
余りの急坂で車両が通れなくなったこの坂ですが、勾配50%を超える車道がかつて存在したとは…
隣の坂に"28%"の標識もありますが、本当はコチラが37%です。 https://t.co/iBAShi5cXg pic.twitter.com/YmYxpExm7r
【完結】
相模原市緑区葉山島の行き止まり高側道(最終回)
2019/06/30 実写、07/14 公開
※(第1回~第8回)の続きですので、以前の記事を読まれていない方は先にそちらをご一読ください。
第8回の最後の地点から車デポ地点である転回広場まで戻り、そこから伸びる2本の階段を調査する。
これまでに探索した側道と、今回探索する2本の階段の位置関係は以下の様な感じだ。
まずは、車デポ地点から北方向に伸びる階段(赤茶色)から。
圏央道と側道の間を行く、下りの階段である。
階段の入口に立つ。一見、雑草が無く綺麗に見える。
が…、
少し下るとこの有様。それでも、一連の階段の中では最初に取り上げた階段に次いで綺麗であろう。それもその筈、この階段は一連の階段の中では唯一、行先がハッキリしているのである。
なんて事はない。
この階段は、並走する急勾配の側道に沿って設けられていたのである。改めて、すぐ横の側道の急勾配ぶりを感じる。
それにしても、この写真じゃ探索方向がバレそうだな…(笑)
しかし、この階段も看過できない要素を持っていた。
この階段も、途中で勾配が変化した変わり種だったのである。小粒で横に迂回路もある階段だが、意外と侮れなかった。
次に、転回広場から西へ伸びる紫色の階段。こちらの行先は、全く不明である。
この階段、直前に急勾配の坂・階段を幾度も上った自分には少し大変だった。
途中で2度の踊り場を挟み、なおも登っていくのだ。
そして、決定的な場面が。
倒木!!
もう少し近づいてみよう。
ここまでの大木が道路上に倒れて放置されている姿を、私は生で見た事が無かった。
人が通れるスペースは激狭だが、一応先へ進めそうだ。
おっと。
突然だが、ここで電話のようだ。
…。
告げられた言葉は、即ち探索の強制終了を意味するものであった。
「今すぐ車に戻って来い!」
声の主は、車で待機中の父。圏央道を潜る急勾配の坂で転んでしまい、早く手を洗いたいとの事。正直、先へ進みたかったのに…
致し方ない。キリも良いので、ここで車へ戻ることにしたい。
つまり、残念ながらこの先は未探索である。もう一度踊り場を挟んで先へ続いているのか、このストレートを上った地点で階段は終了なのかの判別も難しかった。航空写真でも有意な情報は得られなかった
実は、この他にも1つ未探索の階段があるので、この先は次回訪問時に一緒にやっつけてしまおうと考えている。
さて、この後、車に乗り込んだ私はそのまま相模川右岸道路へ戻り、北上して小倉橋の近くにある7-11で休憩した。その後、近くの高側道をもう1か所探索したので、いずれ記事に上げたいと思う。雨でも十分映える絶景でした
【現地探索以上】
"謎解き"を試みる
それでは、前回の最後に湧いて出た5つの疑問。簡易的に解明を試みたいと思ったが、答えがほぼ出せずに終わった。但し、個人的な見解が多分に含まれるので注意
まず、①何故、何処にも繋がらないのにわざわざ高速から離れる道が造られたのかについて。
正確な答えは出せないが、階段を下り切った地点から少し上った地点で細い獣道が分岐していた。
恐らく、この道が関係しているのだろう。次回訪問時に行きたい道の一つ
次に、
②何故、行き止まりまで下ったのに更に下る道が無いのか
③何故、行き止まりへ向かうルートが2通り出来たのか
についてだが、現時点で納得できる答えには至らずにいる。側道の工事資料など、図書館かネット上で見られないだろうか…。
更に、
④何故、最初の幅員減少地点から2つ目の幅員減少地点(転回場)までは比較的規格の高い舗装道路として整備されたのか
最初の幅員減少地点に転回場を設けても良かったと思う。但し、転回広場は圏央道本線と同じ高さであるから、本線の工事用に使用されていたと考えると合点がいく。
最後に、
⑤そもそも、何故まるで道路構造令に準拠していない様な超急勾配・急カーブ・緩和曲線無視の道路が造られたのか
について。これは、恐らく費用対効果の関係だろうと考える。人が殆ど入らない場所にオーバースペックの側道を設けるのは費用の無駄と言われても仕方ないだろう。現状でも、②③の部分は予算削減と矛盾しているが
同様の高側道が数十年前から全国の高速で造られていた事を考えると、側道に関する建設基準が別途設けられている様な気もするが、どうだろうか。
参照:国土交通省出典、道路線形に関する基準(https://www.mlit.go.jp/road/sign/pdf/kouzourei_2-4.pdf) この中に、今回探索した側道に合致していると思われる規格は掲載されていない
しかし、内側の勾配が50%や100%を超える急坂は、少しやり過ぎではないかとも思えてくる。個人的には、発見すると楽しいので歓迎(笑)
結果、大御所サイト等の事後調査力に脱帽する結果となりましたとさ(苦笑)
めでたしめでたし?
【完結】
三浦半島中央道路を勝手に延伸させて、鎌倉の渋滞を回避してしまうウルトラCを思い付いた
「鎌倉の道路は、とても自家用車で走れたものではない。」
これは、神奈川県民であり、三浦半島へ行く度に鎌倉を迂回している私が持つ鎌倉の道路への感想である。
藤沢・西湘と三浦半島を結ぶ国道134号や、大船から鎌倉中心地に至る県道21号、朝比奈峠を通る県道204号は全て片側1車線で、渋滞が頻発している。
これ以外にも、鎌倉中心部から外へ伸びる2車線道路もあるにはあるのだが、どれも渋滞していたり、繋がっている方向が微妙だったりして、いまいち使いづらい。
鎌倉は、3方を山に囲まれた地形。自動車が通れる広さの切通しは少なく、中心市街地に広い道路は多くない。市街地内の移動も市外への移動も容易ではない。しかも、日本古来の建造物を保存する為、安易に現状を変えられないという事情があるのだ。
しかし、鎌倉を迂回しようにも使える道路が殆ど存在せず、渋々鎌倉中心部を通らざるを得ない現状になっている。それなのにロードプライシングを課そうとするのは違う気がする
「鎌倉の渋滞を回避したい!」
そこで、私が目を付けた道路、それが三浦半島中央道路(神奈川県道217号)である。
現在は、以下の図の赤線の部分のみ延伸計画が存在する状況だ。
しかし、その計画を大幅にグレードアップさせてみてはどうか。以下の図のように鎌倉市街地の北側にある山をトンネルで貫き、
更に、横浜市栄区内で建設中の横浜環状南線にも繋げてしまおうという計画だ。
イメージ図も用意した。
仮に三浦半島中央道路の延伸が実現した場合、公田IC(仮称)には横浜環状南線、横浜環状4号線(県道23号)バイパス、三浦半島中央道路(県道217号)の3本の幹線道路が集結する事になる。
しかも、3本とも現在は存在しない道路なので、もし実現すればかなり夢のある話になるのではないだろうか。
しかし、鎌倉を有効的に回避する道路のため交通が集中する恐れがあるから、せめて4~6車線で造らないとあっという間に交通容量をオーバーしそうだ
更に、以上で紹介したルートの他にも3種類の延伸計画を作成した。
案①は、大船の県道302号に繋げる計画。西に向かいやすいが、整備距離は3ルート中最長で、かつ住宅地の中を通る為立ち退きが多く発生しそうだ。
案②は、環状4号以北の、4車線で整備された県道21号に繋げる計画。南北移動が便利になる他、横浜環状南線のICを有効的に使えるという利点があるが、公田IC~環状4号の間は、近隣で建設中の県道23号のバイパスと併せると2重ルートになってしまう。
案③は、県道23号のバイパスの終点である神戸橋交差点に繋げ、環状4号の現道を活用(拡幅)する計画。整備距離は3ルート中最短で、住宅地もほぼ通らないが、4車線道路を辿ろうとすると神戸橋交差点で右左折する必要が生じるため、ボトルネックになる可能性が否定できない。
しかし、いずれの案が実現しても鎌倉市街地に多数の右左折箇所・ボトルネックを抱える現状と比べると大分マシになるのではないかと思える。
(オマケ)
北側を大々的に延伸するなら南側もという事で、効果的であろうルートを2通り選定した。
地形を考えずに直線で繋げてしまった。仮に実現した場合、既存の急勾配・急カーブ区間がボトルネックになってしまいそうだ…。あと、残念ながら現代では建設における環境保護や予算の問題を見過ごす事は出来ない
【完】
アフリカのウガンダという国に"日本の"信号機が設置されている件
ウガンダは、東アフリカに位置する一小国であり、日本からおよそ11,000km離れている。人口は約3500万人で日本の3割、陸地面積は約19.7万㎢で、日本の5割だ。
また、車は左側通行で、日本と同じである。イギリス植民地時代の影響が残っている
日本と余りに離れすぎているため、一見、日本とは無縁の様に思えなくもない。
しかし、この国の首都であるカンパラという都市には、当記事のタイトルにも書いた通り、とある特徴がある。そう、
"日本の信号機が設置されている"のだ。
早速だが、次の画像を見てもらおう。
日本の信号機の下にカオスな光景が。
ここがアフリカの都市だと言われれば、確かに、眼下の光景には何も驚きはしない。
しかし、あの見慣れた信号機が、ここでは明らかに浮いているのだ。
このギャップに萌える人は、恐らく自分だけではないと思う。
しかし、これだけには留まらない。
外国という事で、日本の信号機が使用されているとはいえ、信号制御は微妙に日本と違うところもある。
青と青矢印が同時点灯しており、対向側は赤となっている。これは新潟で稀に見かける特殊なサイクルの時差式信号機にそっくりな気がする。
また、日本国内では殆ど見かけられず、激レア物件の扱いになっている矢印組み込み型信号機も、カンパラでは意外と多く見かけた。一本アームとは何と贅沢なことか…
次の写真。カンパラから郊外へ続く道にも、日本の信号機が設置されている。
が、
ゲテモノ?!
レンズの中に入っているのは、まるで布らしき物体。有色レンズの代わりに、布が使われているのだろうか?
よく見ると、左矢印が上を向いてしまっているし…
更には、堂々と赤信号を無視して横断歩道を渡る女性の姿や、
自立歩灯(柱の上に直付けされている歩灯の事、今度記事にします)に手を、ブロックに足を掛けて信号待ちをしている男性の姿まであった。
こんな感じで、異国にも日本の信号機という物は存在するのである。
私が調べたところによると、日本メーカー製の信号機が設置されている国は、日本を除き6~7ヵ国ほど存在する。この目で見てみたいものだ
他の国の様子は、追々記事にまとめる予定だ。ウガンダ以外にもネタ性満載の国は在る訳で、本当に面白いと思う。
因みに、ウガンダでかつて日本の信号機が導入される前に稼働していたと思われる信号機が残っていた。余りにも無残な姿で。
特に、空中のアームに取り付けられた(オーバーハング式の)信号機は、青・黄・赤がそれぞれ違う方向を向いているという。よく撤去されずに残ってるなと思う。
撤去するのは、費用対効果的にあまり重要度が高くないんだな…
これで、外国にある日本の信号機シリーズの初回、完結。
※写真は全てGoogleストリートビューを使用しています ホント便利、Googleストリートビュー
【完】